海外の劇場のさまざま

音響のスタッフとして参加した公演なので音響中心になりますが、海外の小さな劇場の従業員の仕事振りを幾つか紹介します。

すべて歴史ある劇場で設備も古いものを使用していましたが、そのような環境で生き生きと仕事をしているスタッフの姿が印象的でした。

舞台設備は、2,000以上もある日本の公共ホールのほうが、はるかに上等で贅沢です。

 

オーストリア/ウィーン《オデオン座》

穀物取引所を劇場にしたのだと聞かされた。バレエを主に上演しているからSRをしないので、立派なマイクがなかった。機材置き場に案内され、好きなマイクを選べと言われたが、埃にまみれた古めかしいマイクしかなかったがしかたない、それで間に合わせた。その当時は、まだ音楽再生にオープンテープレコーダを使用していた。音響の操作位置は客席の最後部で、テーブレコーダは手作りの木箱に収納されていて、テープをセットすると蓋をして操作するようにしてあった。操作音を抑えるためにである。

そういえば、以前にフランスから来日したパントマイム「マルセルマルソー」の音楽再生オペレーションは舞台袖で行っていたが、テープレコーダの周囲を黒塗りの木製の遮へい板で覆ってあったのを思い出した。

公演が終了して、日本人スタッフが吊り込みの灯体を元に戻そうとしたら、「そのまでいい、明日、次の公演用に吊り替えればいいのだから」と言われた。日本のように定式(基準)仕込みがないからだ。

 

ブルガリア/ソフィア《国立劇場》

古めかしい劇場で、舞台の床は奈落がのぞけるほどの隙間。それでも、私たちが到着すると、床にコールタールのようなものを塗る作業をしていた。歓迎の意味で奇麗にしてくれているのだと思ったが、明日までに乾くのかと心配になった。このような古い劇場を修繕しながら大事にしていることは、劇場従業員の心意気である。

音響調整室は、レコーディングブースのような個室になっていた。舞台の様子はテレビモニターで見るのだが、同期がずれて画像がゆらゆらと踊っている。調整卓のランプが、ところどころ切れていて、使用するフェーダにランプを移し替えてくれる。

舞台袖から音響調整室までの一人乗りエレベータがあったが、なんと、音響エンジニアの手作りだ。

モノがない、だから工夫して、やりくりして、円滑に劇場を運営している。とても感心した。

みんな自分の仕事には誇りを持っている。舞台監督卓のマイクで楽屋にいるスタッフを呼び出そうとしたら、舞台監督が飛んできて、私の仕事を奪うなと叱られた。

 

オーストリア/ウィーン《アン・デア・ウィーン劇場》

舞台袖のスペースがほとんどない構造で、歴史を感じる劇場であるが、二階客席の後部に最新の立派な音響調整卓が設置してあった。多くのミに・スピーカが客席に設置されていた。台詞をSRするための専用のものだ。

客席は階ごとに入口が異なっているので、音合わせで二階、三階に行くのは面倒であった。

本番になると、劇場警察なるものが幕溜まりの位置にある詰め所に陣取り見張りをしていた。

 

ポーランド/ワルシャワ《テアトル・ヴィエルキ》

古いが重量感のある立派な劇場であった。昼と夜の大道具スタッフが入れ替わる。仕事が少ないので分け合っているのだと説明され、文句は言えなかった。

オーケストラボックスがすごく深いので、落ちたら死ぬなと思って近寄らないことにした。

音響の担当も昼夜で入れ替わるが、オペレーションはこちらだから問題ない。音響室の窓は、操作ノイズを遮断するため、本番になると閉めることになっている。だが、調整室から直接客席に出られる小さなドアがあって、簡単に客席内の音を確認できた。気の利いた作りだ。

 

チェコ/プラハ《スタボブスキ(エステート)劇場》

由緒ある美しい劇場であるが、スタッフはひどかった。

大道具の連中は土産のウイスキー飲んでしまって、本番は酒気帯びでやっていた。音響スタッフも言うことをきかないで勝手にやっている。仮設スピーカの位置を替えてくれといってもダメという。

日本スタッフたちは"我が国の公共ホールに似ているな" などと言いながら仕事をしていた。国際親善で訪れたので、これ以上の問題について書くことは控える。

ただ、凄いことをしていた。プロセニアムアーチの上下(左右)の柱をくりぬいて、そこにモニター用のマイクを仕込んでいた。

 

イギリス/ロンドン《サドラーズ・ウェルズ劇場》

セキュリティーを重視している劇場で、楽屋入口は一人が通行できる程度に狭くなっていて、バーを降ろしておいて係のおばさんが上げ下ろしして入場させていた。舞台から客席に出るドアには鍵がかかっていて、暗証番号を押して開けるようになっていた。これは、私たちも真似るべきである。

プロセニアムにスピーカは無い。音響スタッフがやってきて、プロセニアム前に吊ってあるバトンにスピーカを吊り込むから早く位置を決めてくれという。照明が吊り込む前に、スピーカの位置を確保しなければと焦っていた。

打ち合せを終了すると、「君はデザイナーで、仕込むのは私の仕事だから、しばらく劇場に居なくていい」という。ここでも音響担当は一人であった。

開演前に、幕前で現地の俳優が解説をするのだが、マイクはいらないと言ってきた。本番になって、客電が消えたら、観客は一人もいないかのように静まり返った。この国の演劇の脚本の冒頭に「ゴミ静め」の部分が書かれていない理由がわかった。

また、このような場面もあった。身障者を招待していたのだが、それを知らない観客が "騒々しい" とクレームを付けてきたが、そのワケを知った途端に黙って、気まずそうに素早く座席に戻っていった。これは健常者の優しさだろう。

 

イギリス/ロンドン《マーメード劇場》

ここでは歌舞伎版ハムレットを上演した。

通常、劇場の打ち合せのとき、日本では劇場側から照明や音響設備について説明されるが、この劇場は違った。どの位置に照明器具を吊りたいのか、スピーカはどこに吊りたいか図面に書けというのである。希望の位置に設置するという。

仕込みが開始されると電気ドリルのけたたましい音が劇場中に響いた。そして、プロセニアムに穴がぽっこり空いてチェーンが降りてきた。そのチェーンに鉄管が取り付けられて、ウイ~ンと音がして鉄管が持ち上げられた。これで仮設の吊りバトンが完成したのだ。よくよく見るとプロセニアムは穴だらけであった。

舞台中の仮設バトンも次々に設置されて、灯体の吊り込みが開始された。

ベルトパック型ワイヤレスマイクのピンマイクが故障していた。リース会社の社長は、 "修理して郵送する" と言って帰っていった。郵送!?。こんな経験は初めてなので不安だったが、翌日のリハーサル前にきちんと届いていた。

 

アメリカ/ホノルル《キャッスル劇場》

ハイスクール所轄の劇場である。アメリカでは大学など、学校の劇場が活躍している。

劇場との打ち合せで、床の色はどうするかと言われてビックリした。この劇場は、公演ごとに床を塗り替えることにしていて、自由に色を選べるというのだ。私たちは、そのようなこと初めてだからこのままでよいと言っても、決めてくれないと困るの一点張り。ペンキ塗りの仕事がなくなると困る人がいるのだろうと思い、黒色にした。

音響装置は、すべて仮設になるが、仕込み担当は一人の学生である。マルチケーブルが空調の穴を通して引いて固定回線にしてあった。うまいこと考えたものだと感心した。

演劇部の活動が盛んな学校で、演劇部員は非行に走らないと自慢していた。

 

 アメリカ/ロサンゼルス《日米劇場》

日本が寄贈した劇場である。ここはユニオンに加入していないので、難しい決まりはない。

日本人の通訳が、映画のユニオンの話をしてくれた。ロケをするとき警察官と消防官を一人ずつ雇わなければならないとか、キャストとスタッフの食事は温かいものを提供しなければならないとか細かい規則があって、それをクリアーしなければならないので、経費が嵩み、映画製作には莫大なお金が必要になるというのだ。

ユニオンに加入していないから、照明も大道具も仕込みは互いに手伝う。その中の一人が音響の専門家で、音響の仕込みが終わるとすぐに舞台に行って照明の仕込み作業をしていた。

ホノルルのキャッスル劇場も同様であったが、作業灯は木製の燭台のようなものに裸電球(白熱灯)を取り付けたもので、これを舞台端に置いて照明器具の吊り込み作業などをしていた。地明かりというものがない国の作業灯である。

観客座席を見ると、椅子の背になにやらネームプレートが付いていた。お金を寄付してくれた人の名前だそうだ。寄付社会のアメリカらしいアイディアだ。

沖縄芸能公演で訪問。