劇場技術者の営業力(2007年筆)

 

イベントを企画して、思うように集客できなかったときの言い訳で一番多いのは、「人がこないイベントだから私たち(行政や公益団体)がやるべきなのだ」です。

次は「市民の意識が低いからだ」と来ない人を非難しているのです。

本当は、そのような方たちに参加して貰いたかったのではないでしょうか。

そして次に、天気や交通の便などの悪条件を並べることが多いようです。

すべて補助金でやっている人たちの言い訳です。

 

農政にみる我が国の行政

東京の問題ですが、最近、民間と公立の劇場がたくさんできて、互いに競争になり大変なのです。

棲み分けしないと相撃ちになると危機を訴える人もいます。

お金儲けの商業劇場と芸術追求の公立劇場では、競争意識が違うので問題ないと思うので、棲み分けしようなどと甘えている人もいます。この人たちには、他の劇場とガチンコ勝負をして、良いものを見せてくださいと申し上げたい。

各地の多目的貸ホールや小規模なホールの管理運営の問題を考えてみましょう。

これが正しいという1つの方向を決めることはできませんが、それぞれの立場や条件によって、いろんな考え方があります。

 

行政は全国を同じようにコントロールしたがります。

協会などの団体を一つにまとめようとするのは、そのほうがコントロールしやすいからです。だから行政は一方を潰そうと動きます。

そのようなことをされたのでは、業界は発展しません。護送船団方式に陥るのです。そして官僚社会主義になるのです。

いろんな形で運営する団体も公共ホールもあるから発展するのです。キリンビールとアサヒビール、コカコーラとペプシコーラ、トヨタと日産があるから、その業界は成長するのです。

 

また逆方向、別方向に進む人がいてこそ発展するのです。

 

日本の農政は昔からダメで、出鱈目です。現在は破綻状態だと理解できるでしょう。

これが日本の行政の基本形です。

例えば、昨年タマネギが不作だと、今年は玉ネギを作れと行政指導します。そして今度はタマネギが豊作になって廃棄することになります。

政府は、これをずっと昔から繰り返してきたのです。そして、米が余っているから、米を作らせないように、作らなければ補助金を出すという策をとるのです。このようにコントロールされながら、日本の農業は知恵も力も欠如して滅びてしまったのです。

 

ところが、最近では農業従事者も利口になって自立し、独自の方向に歩みだす人が増えたのです。東国原知事の出身地の宮崎県都城市では、二十代の若者が農業を始めました。

ベテラン農家が作成したパソコン・データをもとに作業をして、上手にお米を作っています。

また、山形県鳴子の農家は、旅館と提携するなどして地元にお米を売ることを第一と考えたのです。そして、お米の袋に製作者の写真を貼り「私が作った米」として、個人ブランドで各地に通信販売しています。「○○ひかり」とか「○○こまち」などという大きなブランドではなく、小さなブランドで信用商売を始めたのです。

最近、高級ブランドの老舗の偽装不祥事が相次ぎました。このように、有名ブランドだからといって、信用できない時代ですから、経営者の顔が見える小さなブランドのほうが信用されるのです。

 

居酒屋の「和民」が農業経営を始めました。一般農家は形の悪いキュウリなどは販売できずに捨ててしまいます。居酒屋は、それを刻んで料理をすれば商品になるのです。

だから、農家も居酒屋を開業すればよいのですが、その力はありません。

ところが最近、酪農家が乳製品を販売する店を出して、農家の主婦たちが商売しているというのが評判になっています。

また、団塊世代を農業に引っ張り込むなど、個性のある農業が、いくつもスタートしているのです。

 

このような農政の動きと照らし合わせて、公共ホールのこれからを考えていく必要があるのではないでしょうか。

 

いま、歯科医師や弁護士、そして公認会計士が増えすぎて、この人たちが失業に追い込まれています。

これらは、すべて行政ミスです。

仕事量に応じて、その従事者を育てればいいのですが、なにも考えずに時代遅れの行政をやっているから駄目なのです。しかし、日本人のほとんどが行政にすがり、お墨付きを求めてさまよっています。

 

本当は、これらのバランスをよくするのが政治や行政の仕事なのですが、その役目を果たしていません。無責任な法律を作って、庶民の首を絞めてくるのです。最近のニュースをみればわかるでしょう。

農業と同様に全国の公立ホールも、そこで働く技術者も、おかしくなってきていると思います。

舞台技術者の技能検定も、取得者数で優越を決めようとしていては不利です。

需要と供給のバランスが悪いと、薄利多売を始めて、その業界がガタガタになってしまうのは世の常です。

 

だからいま、「こんな世界にしたのは何処の何奴だ」と叫びたいです。

 

東京の某劇場業務を受託している役務提供会社の若手社員が集団で退社して、この業界から去って行きました。

名古屋では、有能な技術者が会社を辞めて独立し始めたというということです。いずれも生計が成り立たないからで、希望を失ったからです。

貧乏しながら舞台芸術をやる時代ではなくなっています。

 

では、ここで指定管理者制度とは、なんなのかを考えてみましょう。

図書館・美術館・ホールなどの公共施設の運営を、これまでの運営財団だけでなく民間にやらせてもよろしいというのが、この制度、法律です。

赤字の自治体にすれば願ってもないことで、民間にやらせて予算削除するには好都合です。これ幸いと、文化行政から逃げてしまっている自治体もあるのです。これは悪性です。

しかし、しっかりやっている指定管理者も多いのも事実です。

 

公共ホールの位置づけ

それでは、ここで公共ホールとはなにかを考えてみましょう。

ホールは、会館・公会堂・集会場という意味です。コンサートホールというとクラシック音楽をやる音楽堂ということになりますが、基本的に集会場です。人が集まってくる所です。

ですから、芸術だけをやるところではありません。

集会などコミュニケーションの場でもあって、その中から新しい芸能が生まれたり、市民が演劇を始めたり、出会いの場所であったりと位置づけすれば、「地域住民の目線で運営」しようと考えるようになります。

 

次に、公共ホールの役割です。

どのような役割をしているかということですが、有名な演出家を呼んで演劇やオペラをやる専門ホールであってもよいのですが、もっと住民のことを考える必要もあるのではないでしょうか。

地元の住民(納税者)は、ホールを自分たちのモノと考えています。カラオケ大会に使いたくても使えないでトラブっている例もたくさんあります。

指定管理者の時代になったので、公共ホールのあり方をもう一度じっくりと考えるチャンスが到来したのです。

これは良性です。

 

まず、公共ホールは芸能を作るところでしょうか? ということであります。

自前の劇団や劇場を持つならば別ですが、余所で作られた芸能を仲介するのが、もっぱらの事業となっているのではないでしょうか。

自主企画といっても、東京などで作られた歌舞伎やオペラや演劇などを連れてくるということが主です。高い入場料のものを県や市の補助金で安く見せたりしますが、これは立派な地域住民への税金の還元です。

また、いくつかのホールが共同で製作して、巡業することを始めたところもあります。これも制作費の分散になり経費削減になります。

また、芸術監督に著名な演出家を据えるのも流行です。しかし、制作は民間に任せて、民間の制作会社は制作した作品を持って全国ツアーをします。そのためか、大きな公共劇場はプロデューサ不在にしています。そこには、制作担当職員と制作会社に、癒着の関係が生まれる危険性があります。

 

次の公共ホールの役目は、外部に演ずる場所を賃貸することです。

外部のプロダクションやプロモータに場所を提供して、市民が東京や大阪に行かなくても一流の芸能を鑑賞できる。これも地域住民への素晴らしい提供です。

そして忘れてならないのが、地域住民に集会の場を提供することです。

皆が集まりセミナーをやったり、また自発的に演劇をやったり、習い事の発表の場として、ホールにプロのスタッフを揃えて支援する。そのことにより、地域の人たちの文化意識が高まり、一流のプロの芸能を観たいと思うようになれば、その人たちは目の高い観客になるのです。

公共ホールが新しくオープンすると、そこの地域住民の文化芸術に対する意識は高まり、いきいきとしてきます。それが公共ホールの第一の役目です。そのようにならないときは、そのホールの存在価値はなくなり、無用の長物化となります。

 

地域住民との関係

公共ホールを所有する自治体の違いにより、地域住民の所有意識が違ってきます。

国営、県営、市営、町営の違いで、それに対する国民の意識が異なります。区立や町立になると、地域住民は自分たちのモノ意識が高く、運営に対する監視は厳しいです。

したがって、地元優先に運営しなければなりません。カラオケや習い事の発表会を優先します。利用料金の設定もそのようになっています。地域住民は低料金になっていて、有料の営業公演の場合の使用料は高額になっているのはそのためです。

ところが国営になると、プロの人たちの利用料は安く、素人の公演は高額になっています。そして運営に対する国民の監視は緩くなっています。

 

ホール関係者は、市民からどのように見られているかということを気にしなければなりません。

一例ですが、指定管理者制度で危機を抱いたホール職員が、一軒一軒市民の家を回り、ご意見やご要望を聞いて歩いたという話があります。

すると、『勝手に面倒な規則を作って、市民は置き去りじゃないか、そして君たちは2、3年で本庁に戻ってしまうのだろう』と罵られたのです。

これを肝に銘じて改めれば、市民はホール職員を支援して、味方になってくれます。

公共ホールは、それを所有する地域住民のことを、第一に考えることを忘れてはいけないのです。

市民は「世界へ発信」などという浮かれた売り言葉など求めていません。

地域住民に発信して欲しいのです。

最近、開場式典で「宇宙に発信」と声高に叫んだ某公立劇場の芸術監督もいて唖然としました。自分の名声のためでしょう。

 

ホール事務方と現場の技術者との隔たりもあります。

今こそ、昔ながらの会館の技術スタッフの悪いイメージ(意地悪)を払拭して、指定管理者制度の導入を良い機会と捉えて、技術者のあり方を再構築する好機だと思います。

ホールの意義を再認識して、事務方と技術者が協力し合うことが重要です。

そこで、劇場技術をビジネスと捉えて自立すべきです。

 

劇場技術者は労働者

さて、私たち劇場技術者はアーティストでしょうか? それとも労働者でしょうか?

難しいところですが、そこを明確にしなければならない時期にきていると思います。都合に合わせてアーティスト、労働者を使い分けていたのでは周囲からは分かりにくいのです。これからは、労働者として堂々と確立すべきだと考えています。アーティストになると、労災も労働組合の支援も受けられないのです。

新国立劇場の合唱団と契約していた歌手が、一方的に契約破棄され裁判沙汰になっていますが、合唱団員はアーティストか労働者かが争点になっています。

劇場技術者も労働者として、ちょっとした知恵を使って、プロの技でバリバリやって稼ぎましょう。

 

このような村おこしの例があります。

傷ついた柚子は見栄えが悪く売り物にはなりませんが、それをエキスにしてヒット商品にした村があります。その工場で、お年寄りがイキイキと働いて健康に暮らしているすばらしい村です。

 

倉敷の洋服製造業者もすごいことをやりました。

今、私たちが着ている洋服のほとんどは中国製で、日本の製造業者はお手上げです。

しかし、倉敷の業者は、価格が安くても粗悪品の子供服では着心地が悪く子供がかわいそうだと思い、次のようなことを考えたのです。

倉敷は学生服製造日本一なので、そこで働いていた高技能を持った高齢者が大勢いる。その人たちの内職で、着心地の良い子供服を製造することにしたのです。

孫の面倒をみながらミシンを踏む高齢者の技能で、中国製品よりも安価で質の良い商品が生まれたのです。

今では、この製品を大阪の店でも販売するようになり、中国の観光客が買い求めていくようになったというのです。

ちょっとした知恵で、地域の小さなブランドが全国区の商品にできるのです。

プラス思考で、石ころも磨けば売れる商品になるということです。

私たち劇場技術者も進化しなければ、これからの時代、使い物にならないと思います。

業務がなくても毎日ホールに詰めていれば給料を貰える、という時代は終わったのです。

 

東京・千駄ヶ谷の津田ホールは、ここは民間のコンサートホールですが、5人全員が技術者です。その人たちが営業も、経理も自分たちでやっています。小規模のホールのスタッフは、一つの仕事の専門家でなく、音響、照明、大道具の基礎業務をすべてできるようににし、そして営業も経理もやるのです。

これと同じようにヨーロッパの劇場では、親方一人だけが打ち合わせに出てきて、全部の部門について細かな打合せをしています。これからの劇場技術者は、このようにオールラウンドプレーヤでありたいです。

この業務形態を「マルチタスク」と呼んでいます。

 

海外の状況

ここで、海外について触れてみます。

アメリカのユニオンは、ご存知のように、自分たちの仕事を守るために、仕事の量に合った組合員数を配置するのが原則で、強力な締めつけがあります。

別の分野を侵すことはご法度です。舞台監督卓や音響調整卓にオペレータでない者が触れることはできません。

そしてオペレータは、仕込み作業に手を出せません。

日本から三味線演奏者を連れて行くと、その人数分だけユニオンのミュージシャンを雇うことになります。そのようにして自分たちの仕事を、生活を、守っているのです。

そのようなユニオンですが、地方に行きますと仕事が常時ないので、日常はパン屋さんとか電気屋さんをやっていたりします。

このような形のユニオンは、日本では無理だと思います。そこには民族性の違いがあります。仕事をみんなで分けあうことができるかどうかです。何でも一網打尽の日本人には無理のようです。

山にいって美味しい木の実がなっていたらどうするかです。自分で食べるだけ採って食べて、次に来る人や小鳥のために残すのがアメリカの開拓者精神です。

全部採って持ち帰って、食べ切れずに捨てる破目になるのが日本人です。日本人のバイキングの食べ方を見ればわかるでしょう。

 

イギリスやフランスのユニオン組織は弱いです。

ただし、アメリカ同様にオペレータと仕込みのスタッフとを区別している部分があります。照明のフォローをする人はリハーサル寸前に劇場にやってきて、仕込み作業はやりません。

ポーランドの国立劇場で公演したとのきのことですが、昼のリハーサルと夜の本番スタッフが入れ替わるのです。仕事が少ないので分け合うのだ、と説明をされました。ワークシェアリングです。

 

日本にも立派なユニオン組織があります。それは能楽協会です。能楽協会に入っている人はプロです。協会に入っている人はさまざまな決まりを守り、ユニオンとして機能しています。必要以上にプロを養成することもしないです。

 

旧東ドイツのハレというところへ行ったときのことです。主催者が観客を呼ぶのを忘れたというので驚きました。社会主義の延長で、イベントをやるときは役所に申請してお金を貰う、くれなかったら大騒ぎすると貰える。だから観客が入らなくても問題ないと言訳していました。補助金目当てにやっていると、このような思考になるのです。これでは、いつまで経ってもプロとして自立できないです。

 

アメリカでも、ユニオンに所属しない人たちの仕事のやりかたは違います。大道具、照明、音響が入り交じって、互いに手伝って仕込み作業をしていました。ベルギーの小さな劇場もそうでした。

ポルトガルの小さな劇場では、管理・運営技術者が一人。2階の客席の最後部に、音響卓と照明卓が並んでいて、一人で操作していました。

 

私が劇場の世界に入った40年前に「劇場の敷居を低くしなさい」と先輩から言われたことがあります。

劇場の中に、安くて美味しいレストランがあるとか、舞台芸術の専門書などを販売するとか、図書館があるとか、コンビニがあるとか、劇場専門知識の相談窓口があるとか、地域住民が集まってくる機能にすべきです。

最も効果的なのは安価で美味しいレストランです。食べることは、人間の一番目の欲望ですから。

 

特殊法人から独立行政法人に移行した文化施設もあちこちで頑張っています。

行列のできるレストランを誘致して目玉にしているのは、六本木の新国立美術館です。

 

最後に、中野サンプラザの話をしたいと思います。株式会社になってから、いきなり黒字になりました。そのためには、ロビーの奥まった暗い場所にあった結婚式場の受付を、見晴らしの良い階上に移動しました。夢いっぱいの若い二人が打ち合わせるにはふさわしい場所です。それから、使われていない会議室などを貸事務所に改装して、施設内の人口を増やし、レストランは一流ホテルのシェフを呼び上品にしました。

そしてホールの技術者も、営業や経理の仕事をするようになりました。技術者がホールの利用者にレストランの弁当を勧めたり、打ち上げパーティーの予約を受けたりするようにしたのです。

ホールスタッフの言葉づかいや、接客態度も厳しく教育されて生まれ変わりました。

 

"営業は民間に学べ"ということです。