改訂版 サウンドバイブル

The Theatrical Sound Engineer’s Bible

劇場音響技術者教本

 

著者:八板賢二郎

出版:兼六館出版

 

本書のまえがき

私が劇場の仕事に就いたのは40年も前のことです。それまでテレビマンをめざしていましたので、音のことは全く分らず、そこで演じられる演劇も舞踊も初めて見るものでした。それでも劇場の杮落(こけらおと)し公演で、調整卓の操作をさせられ、終演したときは全身が汗でびしょ濡れでした。

そんな新米(しんまい)を部下に持った先輩の口癖は、俺たちは創造家だ! 媚()びては芸術家でない! で、今でも脳裏に焼き付いています。

演出家に怒鳴られ、恥をかき、毎日が緊張の連続で、早くこの世界から逃げ出そうとしたのですが、観客の喝采に喜びを感じ、誰もいなくなった観客席のぬくもりで達成感を味わい、この仕事の生きがいを覚えました。

稽古場は、私にとって学び舎でありました。そこで多くの俳優、ミュージシャンと出会い教えられ、偉大な演出家のひとことひとことは私にとって宝物になりました。

よく、芸能は総合芸術と言われますが、それは様々なジャンルの専門家の知恵と力を結集して作り上げ、総合して評価されるものであるからです。その場でそれぞれが役目を果たすには、それぞれが高度な能力を蓄えておいて、それを発揮することです。

技能を高めるには、基礎理論をしっかり身に付け、それで裏打ちしながら実践するのが早道です。

本書は、芸能を支える音響技術者の目線でまとめたものです。

劇場の音響創造に役立てていただければ嬉しく思います。

 

 

 

 

 


マイクロホンバイブル

 

著者:八板賢二郎

出版:兼六館出版

 

本書のまえがき

もう50年も前になるだろうか。某放送局OBの授業での一言が、私の脳裏に焼き付いています。

「高域が誇張されている楽器に、高域の収音に優れているマイクを使うと高域が強くなり過ぎてしまうので、マイクの選定はよく考えて」という教えです。映像と無線の技術を必死に学んでいて、音声に興味がなかった私の心に、鮮明にその言葉だけは残りました。

その後、日本の伝統芸能の音響業務に従事することになりましたが、この一言をときどき思い出しながら仕事をしていました。

私たちは音を耳で捉えて、それを脳で都合よく判断して聞いています。都合よくとは、人それぞれ判断が異なっているということであり、また上手に聞き分けているということでもあります。

例えば、ある音に集中しているときは周囲のノイズは気にならないのですが、散漫であると周囲の音が気になるものです。また、その日の気分によっても、受け止め方が異なってきます。

しかし、マイクを通過させた音は違います。

マイクで拾った音のほとんどは、スピーカで再生されて聞くことになりますが、このとき生では気付かなかった音も聞こえてきます。つまり、マイクには欲しくない音が容赦なく入ってくるのです。

したがって、コンサート会場などで聞いている生の音をめざして、マイクで音を捉えるのは容易なことではありません。そのためエンジニアには知恵が求められ、経験の積み重ねによってさまざまなマイキングのノウハウが生まれています。

「知恵」を辞書で引くと「単なる学問的知識や頭の良さではなく、人生経験や人格の完成を俟(ま)って初めて得られる、人生の目的・物事の根本の相にかかわる深い知識」とあります。

本書は、いろいろなマイキングに挑戦するための基礎知識を、先人たちの書籍をもとにまとめたものです。

エンジニアの知恵を引き出すための先人たちからの伝書として活用していただければ幸いです。

 

 

【お詫びと訂正】

11P 2行目 (誤)また、音波は → (正)また、波長は
 
29P 11行目 (誤)無指向性と双指向性の感度を2:1 → (正)無指向性と双指向性の感度を1:2
 
96P (3)サクソフォンの項
(誤)テナーサックスが約120HzB2)~700HzF5    (正)100HzA2)~620HzE5
(誤)アルトサックスは約130HzC3)~780HzG5 (正)140HzD3)~830HzA5
(誤)最も低い音を出すバリトンとバスの低音は約50HzA1)まで → (正)バリトンの低音は65HzC2)まで  

 

183Pの「SHURE/SM57-LCE」と「SHURE/SM58-LCE」の製品写真が逆になっておりました。

 


音で観る歌舞伎 〜舞台裏からのぞいた伝統芸能〜

 

著者:八板賢二郎

出版:新評論

 

書評

http://honz.jp/1886

 

 

本書のまえがき

昔、「ウィーンのオペラ劇場に舞台技術を勉強しに行く」と言う若者がいた。私は、「歌舞伎を学んでからにしなさい」と言って、六か月間、歌舞伎の現場を体験させてあげた。そして、ウィーンに着いてから、オペラ劇場のマイスターに「日本には立派な歌舞伎があるのになぜこちらに来たのか」と言われたそうである。

日本にオペラ劇場ができるということで勉強に出かけたと思うが、オペラの乳母からすれば、日本には歌舞伎という立派な演劇があるのに、なんでまたヨーロッパまでオペラを学びに来たのかといぶかしかったにちがいない。

外国に行って自国の良さがみえてくる、とはよく言われるが、逆に自国の文化を理解してからよその国の文化に触れれば、より一層相手国の文化の良さが見えてくるものである。そのうえで、自分たちの文化を世界に広めることが真の国際化ではないだろうか。

かつて、一世を風靡していザ・ドリフターズのメンバーは、よく歌舞伎を観に来ていた。そして、彼らの人気テレビ番組であった『八時だヨ! 全員集合』の大道具は、大道具製作では老舗と言われる金井大道具が担当していて、歌舞伎の技法をふんだんに取り入れて造られたものだった。

音楽の世界では、国際的に高く評価されている黛敏郎や武満徹の音楽作品は日本の伝統音楽を膨らませたものであるし、コシノジュンコや山本寛斎などの服飾デザイナーたちは、能や歌舞伎の衣裳を学んで、ニューファッションのなかに「和風」を取り込んで海外で評価されている。

演出家では、歌舞伎に精通していることで有名な「劇団四季」の浅利慶太は、ミュージカル『シーザス・クライスト=スーパースター』を歌舞伎調の作品に仕上げて海外公演まで果たしているし、現代演劇の栗山民也は、早稲田大学演劇学科に在学中、ゼミの教授からもらった一枚の能のチケットがきっかけで、卒業するまで毎日のように能楽堂に通ったと言っている。

同じく演出家である文学座の戌井市郎は、新劇研究生の時代に能の創始者である世阿弥が書いた『風姿花伝』を声を出して読まされた、と懐古している。

また、指揮者の岩城宏之の次の言葉は非常に興味深い。「かれこれ約50年間、オーケストラの指揮をやっていて、最近は、日本と外国での仕事を半々にしていますが、それまでの大半は、ヨーロッパに十一ヵ月、日本に一ヵ月というありさまでした。理由になりませんが、そういうわけで文楽と能・狂言の本物を見たことがなかったのでした。

歌舞伎には時々接していましたが、日本の伝統芸術に対する全くの無知を、恥ずかしいと思いながらも、ずっとそのまま過ごしてきて、七十一歳になってしまいました。

それで現在、超々遅まきながら、空いている日は国立劇場に通うようにしています。

能や文楽を初めて見たとき、後悔のあまり、死にたくなりました。このように偉大な伝統芸術を持つ国に生まれて、なぜ自分は輸入物の洋楽をやって、インチキに世を渡ってきたのだろう、という悔やみです。どんなに後悔しても遅いのです。

最近は夢中になって国立劇場に通っているので、オーケストラを指揮している時でも、ふとお能や文楽の場面が頭に浮かんだりして、これは本職に障ると心配したりしています」

昨今、さまざまなジャンルで日本のグローバル化についての論議が盛んなわけだが、すでに伝統芸能の世界においてはグローバル化は進行していると言える。とくに、歌舞伎の海外活動は多く、「日本でアポイントが難しい役者に会うためにはパリに行け」とまで言われているぐらいだ。それがゆえか、歌舞伎座(東銀座)に来られる外国人が近年ますます多くなっている。どうやら世界中の民衆が、時代・ジャンルを問わずに娯楽を求めていているようだ。日本の歌舞伎も能楽も大いなる娯楽であって、それらから元気をもらって癒される。世界中の民衆はそれを求めて劇場に出かけ、そして芸能に酔う。娯楽である以上、世界中のすべての芸能は決して堅苦しいものではない。歌舞伎作家の河竹黙阿弥は、「座元と役者と観客が喜ぶ作品を書きなさい」と弟子たちに説いている。一方、世阿弥は、「芸能とは、諸人の心を和らげて、上下の感を成さん事」と言っている。両者のこの言葉は、娯楽を証明するものであろう。

よく、伝統演劇は分かりにくくて難しい」と言われる。これは、台詞が昔の言葉を使っているせいで、どうしようもないことである。だから、初めから100%理解しようなどとは考えないほうがよい、と私は言いたい。

初めてパソコンを使うとき、かつて、多くの大人が分厚いマニュアルを読んで、すべてを把握してから操作しようとしていた。だからマスターする前に挫折した。ところが、子どもはマニュアルには目もくれないで、いきなり電源を入れて使い出してすぐにマスターしてしまう。パソコンゲーム、ケータイ電話においてもそれは同じで、私をはじめとした大人たちにとっては耳の痛い話ではないだろうか。

初めて伝統芸能を観るときは子どもになろう! 切符の買い方が分かれば十分で、払った入場料の元を取ろうなどとは思うべきでない。そのためにも、一番安い席を求めることをおすすめする。初めからストーリーなどは気にしないで、きれいな衣裳と心地よい音を堪能して「面白い!」を発見すればよい。能も文楽も歌舞伎も台詞は難解であるが、ストーリーはきわめて単純なので、何回か観れば誰にでもすぐ分かるようになる。

芸能はしょせん娯楽、学問でも教養でもないのだ。伝統芸能をことごとく難しくしてしまうような研究者や学者の書籍には目もくれず、一人の見物人として劇場を訪れるのが一番。そこで「面白い!」が見つかれば、結果的にもっと学びたくなって、それゆえに知識が広がっていく。

本書は、舞台裏に棲んで四五年になる私が、音を主役にして書いた日本の伝統芸能の説明書である。舞台の裏側にいては豪華な衣裳も舞台装置もじっくりと見ることはできないが、そこで聴くさまざまな音は絶妙としか言いようがない。名もなき技術者たちが、幾多の名人芸を「音」で支えてきたかという事実、そして、それがゆえに先人が残してくれた日本の芸能の神髄に触れ、学べたことは裏方冥利につきる。

さて、これからはじまる伝統芸能の音の世界を、隅から隅までずずずぃーっと、ご覧くださりませ。(文中継承略)

 

【お詫びと訂正】

 次の箇所、お詫びして訂正させていただきます。

 

 15ページ6行目

 

 コノハズク→ホトトギス

  


プロ音響データブック

日本音響家協会編

 

監修:八板賢二郎

出版:リットーミュージック

 

 

 

監修のことば

音を伝達する、音を拡大する、音を記録する、音で伝える、音で訴える、音で癒す、音で演じる、音を奏でる。この仕事を確実に、そして適切に行なうのがプロの音響家です。そのために、いろいろな考え方とさまざまな音響テクニックがあります。

音を創造する音響家は、放送、映画、録音制作、劇場、ホールなど、さまざまな分野で活躍しています。そこでは、プロデューサーや演出家、作家、作曲家、美術家、照明家、映像技術者、大道具方、小道具方、そして俳優やミュージシャンなど、多くの人たちが協調して仕事をします。

これらの仕事に携わるには、専門技術の習得だけでなく、他の分野の人たちと上手にコンタクトできる術を身につけることが不可欠です。相手のことを良く理解し、自分のことを巧く伝えることが、とても重要なのです。

本書は、能・歌舞伎・邦楽・沖縄芸能・クラシック音楽・オペラ・ジャズ・映画などで使用される慣用語から、デジタル・ITの用語にいたるまでを収録して、仕事場のコミュニケーションの一助となることを主眼において編集しました。新装した本書が、音響関係者のみならず、さまざまな分野で活用されるとともに、関係諸氏と読者諸氏のご支援を得て、さらに成長することを願っております。